訪日マーケティング戦略とは、観光庁と日本政府観光局(JNTO)が「どの国の・どんな旅行者に・何を売り込むか」を定めた、国の訪日プロモーションの設計図だ。
上位計画である観光立国推進基本計画を、海外誘客の面から実行するための下位戦略にあたる。2026年4月28日、対象期間を2026〜2030年度とする新戦略が策定された。
あわせて読む 第5次観光立国推進基本計画の全体像は、こちらで詳しく解説している。
観光立国推進基本計画とは?訪日6000万人・消費額15兆円に向けた国の観光戦略
2023年の初版に続く2度目の策定で、骨格は市場別・市場横断・MICEの3部構成のまま、食の旅(ガストロノミーツーリズム)の新設や欧米豪の未訪日層の開拓など、「多様化」へ重心を移したのが特徴だ。
本記事では、戦略の役割から初版の背景、新戦略の中身、前回からの変更点とその理由までを整理する。
この記事のポイント
- 訪日マーケティング戦略は、観光立国推進基本計画を「海外誘客」の面で実行する観光庁・JNTOの下位戦略。
- 2026年4月に第2期(2026〜2030年度)が策定され、初めて上位計画と期間がそろった。
- 構成は市場別/市場横断/MICEの3部で、特定テーマ旅行にガストロノミー(食の旅)を新設。
- 欧米豪の「未訪日の訪日関心層」を新ターゲットに明示し、通年ブランド「Japan. Unforgettable」を始動した。
- 政府目標は訪日6,000万人・消費15兆円だが、重心は単価・地方・多様化へ移っている。
訪日マーケティング戦略とは何か
訪日マーケティング戦略とは、日本が「どの国の・どんな旅行者に・何を売り込むか」を定めた、国の訪日プロモーションの設計図だ(観光庁「訪日マーケティング戦略(統合版)」)。
観光庁とJNTOが共同で作成し、海外向けの広告やイベント、現地の旅行会社への働きかけといった活動の指針になる。JNTOは世界20以上の都市に海外事務所を構えており、その現場が同じ方向を向いて動くための共通の地図、と考えるとわかりやすい。この戦略の上位には「観光立国推進基本計画」がある。
基本計画が国の観光政策全体の中期計画として、訪日客数や消費額などの政府目標と方向性を示すのに対し、訪日マーケティング戦略はそのうち海外誘客の部分について「誰に・何を・どう売るか」を具体化する。
基本計画が地図全体だとすれば、マーケティング戦略は訪日プロモーションという区画の詳細図にあたる。だからこそ両者は対象期間も歩調を合わせ、ともに2026年度から2030年度までの5年間を見据えている。

戦略を使うのは観光庁とJNTOだけではない。地方運輸局、DMO(観光地域づくり法人)、自治体も、この戦略を共通の拠りどころにして、自分の地域の誘客設計を組み立てることが想定されている。
国の方針と地域の取り組みがちぐはぐにならないよう、目線を合わせる役割を担っているわけだ。
なぜ今あらためて語られるのか
初版が生まれた2023年の背景
訪日マーケティング戦略の初版が作られたのは2023年6月だった。
背景にあったのは、新型コロナウイルスで止まっていた訪日旅行の本格的な再起動だ。同年3月には第4次の観光立国推進基本計画が閣議決定され、「持続可能な観光」「消費額拡大」「地方誘客促進」という3つのキーワードが打ち出された。
さらに同年5月には「新時代のインバウンド拡大アクションプラン」も決定されている。これらを実行に移す海外誘客の設計図として、2023〜2025年度の3年戦略が組まれた。
初版の特徴は、量の回復だけを狙うのではなく、最初から「質と地方」を意識した設計だった点にある。
市場ごとに消費単価や地方訪問意向の高いターゲットを選び、高付加価値旅行やアドベンチャートラベル(自然や文化を体験する旅)といった切り口を盛り込んだ。
あわせて、スウェーデンやフィンランドなど北欧地域を新たに重点市場に加え、JNTOが重点的に攻める市場は22に広がっている。
2026年に改定された理由
では、なぜ3年で全面改定されたのか。直接の引き金は、上位の基本計画が第5次へ更新されたことだ。下位戦略も足並みをそろえる必要があった。ただ、より本質的な理由は、この数年でインバウンドを取り巻く前提が変わったことにある。
最大の変化は、回復フェーズの終了だ。コロナ後の訪日需要は力強く戻り、2025年の訪日客数は約4,268万人、消費額は約9.5兆円と過去最高を更新した。
「まず戻す」という課題が片づいた以上、次の問いは「どう質を上げ、どこへ散らすか」になる。加えて、一部の有名観光地に客が集中するオーバーツーリズム(観光公害)が各地で表面化し、地方分散と持続可能性が政策的な必要として前面に出てきた。
さらに、特定市場への依存度が高い構造の弱さも意識されている。実際、訪日客に占めるアジアの割合はコロナ前の83%から2025年には77%へ下がり、欧米豪の比率が高まった。市場の組み合わせを広げる「多様化」は、改定を貫くキーワードになっている。
戦略の仕組みと3つの柱

新戦略がまず掲げるのは、第5次基本計画が定めた政府目標だ。具体的には、訪日外国人旅行者数6,000万人(うちリピーター4,000万人)、旅行消費額15兆円、消費額単価はまずは25万円、地方部の延べ宿泊者数1.3億人泊という数字だ。
単価は「まずは25万円」という表現で示され、2025年速報値ですでに22.9万円に達している。人数だけでなく、単価と地方宿泊が並んでいるところに、人数に加えて中身(単価・地方・持続可能性)も重視する方針が表れている。戦略本体は、初版から引き継いだ3つの柱で構成される。
柱1:市場別戦略
ひとつ目は「市場別戦略」だ。ここでいう市場とは、韓国・中国・米国などの国・地域を指す。
市場ごとに、地方を訪れる意向が強く消費単価の高いターゲットを選び、そのターゲットに響くテーマやコンテンツ、情報収集の癖に合わせた攻め方を整理している。
たとえば韓国であれば、「50代以上の夫婦」「30〜40代の子連れ家族」「20〜30代の友人・一人旅」のようにターゲットを分け、それぞれに刺さる温泉や食、サブカルチャーを当てていく細かさだ。
新戦略の特徴は、市場を訪日経験の度合いで大きく束ねたことだ。東アジア・東南アジアはリピーターを深掘りして地方へ散らし、欧米豪その他は初めての訪日客を開拓して消費を伸ばす、という二段構えを鮮明にした。
成熟市場ではヘビーリピーターを地方へ導き、未訪日者の多い市場ではまず日本の認知度を上げる、という役割分担だ。
なお、市場別戦略が各国で具体的にどう描かれているかは、当サイトの「訪日インバウンド国別ファイル」シリーズ(米国・中国・韓国など重点22市場)で市場ごとに掘り下げていく。本戦略を全体像、国別ファイルを各論として読むと理解が立体的になる。
柱2:市場横断戦略
ふたつ目は「市場横断戦略」だ。特定の国に限らず複数の市場をまたいで効く切り口で、中身は2本に分かれる。1本目が高付加価値旅行で、1回あたりの総消費額が100万円以上(国際航空券代を除く)の旅行者を指す。
地域の伝統や文化、自然に触れて知識や感性を深めることを重視する層だ。単に高級ホテルに泊まる旅行ではなく、地域の文化・自然・人との接点に価値を感じて深く支出する旅行者が想定されている。観光庁が選んだモデル観光地と連携して誘致を進める。
2本目が特定テーマ旅行だ。ある体験を目的に日本を選んでもらう切り口で、これまでのアドベンチャートラベルに加え、新戦略ではガストロノミーツーリズム(その土地の食材や食文化を楽しむ旅)が新たに加わった。
食を入り口に、飲食業や農林水産業の担い手とも連携し、地方への送客と滞在の長期化、地域経済の活性化をねらう。
柱3:MICE戦略
3つ目は「MICE戦略」だ。MICEとは、企業の会議(Meeting)、報奨旅行(Incentive)、国際会議(Convention)、展示会・イベント(Exhibition)の頭文字をとった、ビジネス関連の旅行の総称だ。
一般に滞在が長く消費単価も高い分野で、新戦略では国際会議、インセンティブ旅行(企業が成績優秀者などを招く報奨旅行)、基盤整備(人材育成)の3分野について、とくに地方への誘致を強化する。
全体を貫く土台:持続可能な観光
これら3本の柱に共通する土台が「持続可能な観光(サステナブル・ツーリズム)」だ。
新戦略は、環境・文化・経済の3つの観点で地域の持続可能性を高めることを掲げ、地域に良い影響を与えたいと考える「責任ある旅行者(レスポンシブル・トラベラー)」を意識すべき旅行者像に据えた。
日本の提供価値も、温泉や祭り、伝統工芸、自然に根ざした食文化といった「自然と、自然に根ざした文化」に整理している。
2026年改定での主な変更点
3部構成という骨格は初版から変わっていない。変わったのは、期間の長さ、テーマの中身、そして狙う相手だ。主な違いを対照表で確認する。
| 論点 | 初版(2023〜2025年度) | 新版(2026〜2030年度) |
|---|---|---|
| 対象期間 | 3年間 | 5年間(基本計画と同期) |
| 上位計画 | 第4次 観光立国推進基本計画 | 第5次 観光立国推進基本計画 |
| 構成 | 市場別/市場横断/MICE | 市場別/市場横断/MICE(骨格は同じ) |
| 特定テーマ旅行 | 高付加価値・アドベンチャートラベル・大阪関西万博 | 高付加価値・アドベンチャートラベル・ガストロノミー(新設) |
| 大型イベント | 大阪・関西万博を柱に | 万博は閉幕 →2027年国際園芸博覧会(GREEN×EXPO 2027)の発信へ |
| グローバル発信 | グローバルキャンペーン「Enjoy my Japan」(無関心層向け) | 「Japan. Unforgettable」へ刷新(未訪日の関心層向け) |
| 市場の捉え方 | 重点市場ごとに個別設定 | 訪日経験の度合いでグループ化し役割を明確化 |
変化点は5つに整理できる。第一に、戦略期間が3年から5年に延び、上位計画と歩調がそろった。短期決戦の復旧フェーズを抜け、定常運転に入った表れだ。
第二に、特定テーマ旅行にガストロノミーが加わった。食は市場を問わず関心が高く、地方の食材は東京や大阪では味わえないため、食を口実に地方へ送り長く滞在してもらう狙いだ。
第三に、大型イベントの位置づけが変わり、閉幕した大阪・関西万博に代わって2027年の国際園芸博覧会(GREEN×EXPO 2027・横浜)の情報発信が据えられた。
第四に、欧米豪を中心とする「未訪日の訪日関心層」を明確なターゲットに打ち出し、前身の「Enjoy my Japan」を刷新する形で通年ブランド「Japan. Unforgettable」を始動した。
第五に、持続可能性が環境・文化・経済の3観点で体系化され、プロモーション自体の環境配慮にまで踏み込んだ。
これらの根っこにあるのは、観光が「回復の時代」を終え「成長の副作用に向き合う時代」に入ったという認識だ。
量の回復を前提にできるようになったからこそ、多様化・単価・地方・持続可能性という難しいテーマに正面から取り組めるようになった、と読み解ける。
地域事例:高付加価値・AT・ガストロノミー
戦略は霞が関の文書にとどまらない。すでに地域の現場で具体化が進んでいる。
高付加価値旅行では、観光庁が「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり」のモデル観光地を、2023年に東北海道・八幡平・那須・松本高山などの11地域選定し、2024年にはさらに山形・佐渡(新潟)・富士山麓の3地域を加えて14地域に広げた。
1回100万円以上を使う高付加価値旅行者は、2019年実績では訪日客全体の約1%(約29万人)ながら、消費額では約11.5%(約5,523億円)を占めていた。
コロナ後はさらに規模が拡大し、JNTOの推計では2023年の高付加価値旅行者は59.0万人(2019年比+83.2%)と約1.8倍に達しており、地方の消費単価を引き上げる有力な施策の一つとして重視されている。
アドベンチャートラベルでは、世界最大級の関連イベントであるアドベンチャートラベル・ワールドサミット(ATWS)が2023年9月に北海道(札幌)で開催され、世界の旅行業者に日本の自然と文化が発信された。
新戦略はこの蓄積を活かしつつ、「アドベンチャートラベル」という名称にとらわれず多様なアクティビティを誘客のきっかけにする方針を示している。
新設のガストロノミーは、第5次基本計画でも「食の観光活用(ガストロノミーツーリズムの推進)」として明記され、戦略と計画の両面から後押しされている。グローバルキャンペーン「Japan. Unforgettable」は、前身の「Enjoy my Japan」を刷新したもので、ターゲットを日本に無関心な層から「未訪日の訪日関心層」へ移したのが特徴だ。
長野の温泉旅館、山梨の河口湖、京都の街並み、北海道・知床、富山の伝統工芸、大阪・道頓堀など各地の自然・食・文化体験を季節ごとの動画で描き、欧米豪を中心に「いつ訪れても楽しめる日本」を通年で発信している。
この戦略の本質は、国の巨大なマーケティング計画書を、地域や事業者が無料で使える「共通の地図」として開いた点にある。国のターゲット設計を読み解ける実務資料として使い手がある。
訪日6,000万人という量の目標を残しつつ、競い方の重心は「いかに選ばれ、長く滞在され、地方で使ってもらうか」へ移る。ガストロノミー新設や高付加価値モデル観光地の14地域への拡大は、単価・地方・多様化へ向かう合図だ。
地域側の使い方はシンプルだ。食ならガストロノミー、自然・文化体験ならアドベンチャートラベル、高単価の滞在なら高付加価値旅行、会議・報奨ならMICEと、自地域の資源をどの市場・テーマに翻訳するかを棚卸しすること。
まずはJNTO公式サイトで狙う市場の戦略を確認し、自地域の章として読み替えるのが第一歩だ。
よくある質問
出典
- 観光庁「訪日マーケティング戦略(統合版)」
- 観光庁「観光立国推進基本計画(概要等)」
- 観光庁「新たな『訪日マーケティング戦略』を策定しました」
- 「Japan. Unforgettable」(日本政府観光局(JNTO))
- 観光庁「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり モデル観光地マスタープラン」
- JNTO(日本政府観光局)「高付加価値旅行者の推計(2023年実績)」


