日本では地震・台風・噴火など、観光に影響する自然災害リスクが多い。同時に観光立国を掲げており、感染症や風評まで含め、観光は外的ショックに繰り返しさらされてきた。コロナ禍では、コロナ前のピークだった2019年の訪日外国人旅行消費額4兆8,135億円が、翌2020年には7,446億円まで、2019年比で約84.5%減少した。その後インバウンドは回復し、2025年には9兆4,549億円と過去最高を更新したが、危機が短期間で需要を奪いうる構図は変わらない。
ここで鍵になるのが観光危機管理だ。観光客は土地勘がなく、周囲に知人も少なく、避難訓練も受けていない。外国人旅行者の場合は、言葉の壁も加わる。災害時に情報が届きにくくなりやすい「情報弱者」になり得るのが、観光客である。だから観光危機管理は、一般の防災に観光客と観光事業者の視点を加え、観光地が事業と来訪者を守り、危機のあとに需要を取り戻すための経営テーマになる。
このページは「リスクマネジメント」分野の入口として、危機管理の基本枠組み・主要な論点・事業者タイプ別の打ち手をまとめて解説する。
この記事のポイント
- 観光危機管理は「減災・備え・対応・復興」の4段階(4R)で観光客と事業を守る取り組みである。
- 観光客は土地勘・言語・訓練の面で住民より弱い「情報弱者」であり、住民向けの防災だけでは守れない。
- 危機は自然災害・感染症・事故やテロの3類型に大別され、いずれも風評被害が問題になりやすい。
- 中小企業のBCP(事業継続計画)策定率は17.1%(2025年調査)にとどまり、平常時の備えが大きな課題の一つになっている。
観光危機管理とは 観光客と事業を守る備え
観光危機管理(tourism crisis management)とは、災害や危機が観光客と観光事業者に及ぼす負の影響を、予防・軽減・解消するための取り組みを指す。観光庁の資料では、その目的は「危機による危険・不便・不安を早期かつ効果的に予防、軽減、解消できるようにすること」と整理されている。
一般の防災と異なるのは、守る相手が「その土地に不案内な来訪者」だという点だ。観光客は土地勘がなく、周囲に知人もおらず、事前の避難訓練も受けていない。外国人なら言葉の壁も加わり、しかも「早く帰りたい・帰国したい」と動く。住民向けの防災だけでは、観光客への情報提供や帰宅・帰国支援まで十分にはカバーしにくい。
そして危機発生の直後に観光客へ手を差し伸べられるのは、行政ではなく、その場にいる宿や施設の事業者だ。公助はすぐには届かない。だから観光危機管理は、事業者の自助・共助の備えを抜きには成り立たない。これは特定部署の話ではなく、観光に関わる事業者に広く横断する経営テーマである。
この記事で使う主な用語の読み方
危機管理は専門用語が多い分野だ。混同を避けるため、本記事で使う主な用語の意味と注意点を先に示す。
| 用語 | 意味 | 注意点 |
|---|---|---|
| 4R | 減災・備え・対応・復興の4段階 | 危機管理を時間軸で整理した枠組み |
| 観光危機管理計画 | 自治体・DMOが4Rに沿って定める計画 | 地域防災計画と連携し、観光客・観光事業者向けの対応を整理する |
| BCP | 事業継続計画。中断後に事業を続ける計画 | 防災計画(命を守る)とは目的が異なる |
| 風評被害 | 事実以上に需要が落ち込む二次被害 | 物理的被害がない地域にも及ぶ |
| ふっこう割 | 災害後の需要回復を促す旅行割引支援 | 復興(Recovery)段階の代表的施策 |
危機管理は4つの段階で考える
観光危機管理の背骨になるのが「4R」という枠組みだ。危機管理は、減災(Reduction)・備え(Readiness)・対応(Response)・復興(Recovery)の4段階で時間軸に沿って整理する。観光危機管理の第一人者である髙松正人氏が、観光庁の資料などで示してきた考え方だ。
第一の「減災」は、平常時にリスクそのものを減らす段階だ。ハザードマップの確認、耐震化、危険箇所の把握などが当たる。第二の「備え」は、危機が起きる前提で体制・マニュアル・訓練を整える段階だ。「訓練したことはできた、訓練していたことしかできなかった」という被災地の言葉が、この段階の本質を突く。
第三の「対応」は、危機の最中に観光客の安全を確保し、正確な情報を発信する段階だ。第四の「復興」は、危機のあとに需要を取り戻し、風評を打ち消す段階を指す。4つはどれも欠かせず、とくに見落とされがちなのが平常時の「備え」だ。災害は、準備した範囲でしか対応できない。

危機の種類は違っても、観光では風評が問題になりやすい
観光が直面する危機は多様だが、観光庁の整理では大きく3類型に分けられる。第一に自然災害(地震・津波・風水害・火山等)、第二に人為的な災害・危機(テロ・大規模事故・原子力災害等)、第三に健康に関わる危機(感染症・大規模食中毒)だ。沖縄県の観光危機管理計画はこれに環境危機や「県外で起きた危機」を加え、5分類で整理している。
種類は違っても共通しやすいのが風評被害だ。物理的な被害がない地域でも、不安や交通・施設対応の変化を背景に、予約控えやキャンセルが起きることがある。2024年8月、日向灘の地震を受けて気象庁が南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を初めて発表した際は、お盆と重なって広域で宿泊キャンセルが相次いだ。直接の被害がない地域でも、宿泊キャンセルが生じ得ることを示す事例である。
感染症はさらに広く長い。コロナ禍では2020年の訪日消費が前年比で約84.5%減となり、観光を大きく縮小させた。危機管理は「自地域が被災するか」だけでなく、「離れた場所の危機が需要を奪うか」まで視野に入れる必要がある。
平常時の備え=計画とBCPをどう整えるか
最初の主要論点は、平常時の備えだ。ここでの事業者・自治体の迷いは、「いつ来るか分からない危機」に、限られた人手と予算をどこまで割くかにある。
自治体・地域の備えの柱が観光危機管理計画だ。先駆けは沖縄県で、2015年に観光分野の危機管理計画として国内で先んじて4Rを明文化した(その後2021年度に全面改定し、現在は「第2次沖縄県観光危機管理計画」を運用している)。観光客の安全確保から風評対策・需要回復までを一つの計画に束ね、観光コンベンションビューローと連携する官民一体の体制をとる。観光庁も2022年に4R構成の「手引き」を整え、計画づくりを後押ししている。
事業者側の柱がBCP(事業継続計画)だ。だが備えは進んでいない。中小企業のBCP策定率は17.1%にとどまり、大企業の38.7%との差が大きい。帝国データバンクの調査でも全企業の策定率は20.4%で、約8割が未策定のままだ(いずれも2025年調査)。中小企業全体で策定率が低く、中小事業者の多い観光業でも同様の備え不足が課題になり得る。備えがないと、危機発生時の安否確認や指揮系統で混乱しやすい。まずは安否確認の手段と指揮系統を決めることが、初動対応の基本になる。

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| 区分 | 2024年 | 2025年 |
|---|---|---|
| 大企業 | 37.1% | 38.7% |
| 中小企業 | 16.5% | 17.1% |
| 全企業 | 19.8% | 20.4% |
出典:帝国データバンク「事業継続計画(BCP)に対する企業の意識調査(2025年・2024年)」。2025年は調査開始以来初の2割超。
あわせて読む 人手の確保と役割分担と、需要急変への財務的備えは、それぞれこちらで詳しく解説している。
危機の最中、外国人観光客に情報をどう届けるか
2つめの論点は、危機の最中の情報提供だ。とくに難しいのが、言葉の通じない外国人観光客への対応になる。
国やJNTOは、訪日外国人向けの災害情報ツールを整備している。観光庁監修のアプリ「Safety tips」は緊急地震速報や津波警報などを15言語でプッシュ通知し、JNTOは24時間対応の多言語ホットラインや、災害時に英語などで発信する「Japan Safe Travel」を運営する。観光庁は初動対応のガイドラインや、「取るべき行動」が伝わる多言語の用語集も整備している。
現場で問われるのは、その先だ。災害時に外国人が最も求めるのは、母国語や英語での「何が起きたか・交通や空港はどうなるか」という情報、避難の指示、スマホの充電場所、家族との連絡手段だと整理されている。日本人向けの伝言ダイヤルや日本語放送だけでは、外国人観光客には十分に伝わりにくい。ピクトグラムの活用、多言語掲示、宿のスタッフによる声かけは、現場で取り組みやすい基本策になる。設備投資の前に、誰が・何語で・何を伝えるかを決めておくことが要点だ。
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危機のあと、需要をどう取り戻すか
3つめの論点は復興、つまり危機のあとの需要回復だ。物理的な復旧と並んで、落ち込んだ需要と風評にどう対応するかは、観光地の事業継続に関わる重要論点になる。
代表的な手段が「ふっこう割」と呼ばれる旅行割引支援だ。2016年の熊本地震では九州全体で宿泊キャンセルが70万件を超えたとされ、政府は「九州ふっこう割」で需要回復を図った。2024年の能登半島地震でも、北陸4県を対象に「北陸応援割」が実施され、宿泊料金の最大50%・1泊あたり最大2万円などの割引で誘客を後押しした。旅行割引支援は、危機後の需要回復を後押しする代表的な政策手段である。ただし、補助が切れたあとに需要が続くかは別問題だ。
風評対策はさらに難しい。2023年のALPS処理水の海洋放出後には、中国による日本産水産物の輸入停止など国際関係上の動きがあり、観光への影響を慎重に見る必要が出た。ただし、ある時期の客数の増減を単一の原因に帰すのは危うい。たとえば2023年8月の訪日中国人の回復の遅れは、処理水の影響よりも、中国の日本向け団体旅行が同月10日に解禁されたばかりで本格的な催行に至っていなかったことや、それまでの長期にわたる販売停止の影響が大きかったとみられる。風評の影響を語るときほど、思い込みでなく時系列のデータで因果を確かめる慎重さが要る。正確な情報発信と、データに基づく冷静な評価こそが、復興段階の土台になる。
あわせて読む 需要回復を担う地域連携と、混雑の裏返しとしての分散は、それぞれこちらで詳しく解説している。
事業者タイプ別の打ち手
危機管理の論点は業種を横断する。自社の立場から、まず見るべき点と最初の打ち手、次に読む記事は次のとおりだ。
- 宿泊事業者
まず多言語の避難導線と安否確認の手段、キャンセル時の対応ルールを確認する。初手はBCP策定と、外国人客向けの多言語掲示・声かけ体制づくり。
関連ガイド:宿泊業の全体像 - 交通・旅行事業者
まず運休・欠航時の代替手段と、旅行者への連絡手段を確認する。初手は運行情報の多言語発信と、キャンセル・振替の手順整備。
関連ガイド:旅行業の全体像・観光と交通の全体像 - 観光施設・体験事業者
まず屋外・水辺など危険を伴う活動の中止基準を確認する。初手は気象・地震情報に連動した催行可否ルールと、来訪客への避難誘導訓練。
関連ガイド:観光施設の全体像・観光体験の全体像 - 自治体・DMO
主要論点は「観光危機管理計画の策定」と「平常時からの官民連携」。編集部の整理としては、来訪者数だけでなく、計画策定の有無・訓練の実施状況・復興対応の早さも確認したい。
関連ガイド:地方創生・DMOの全体像・観光政策の全体像 - 全事業者共通
危機直後に動けるのは現場の自分たちだという前提で、安否確認・指揮系統・多言語対応を平常時に決めておく。
関連ガイド:観光DXの全体像・観光人材の全体像
観光危機管理を始める5ステップ
業種を問わず、危機管理は次の順で進めると迷わない。マニュアルを作って終わりにせず、訓練と見直しまで回すのが要点だ。
- リスクを洗い出す
自地域・自社が直面しうる危機(地震・水害・噴火・感染症等)をハザードマップと過去事例で具体的に把握する。 - 体制と役割を決める
誰が指揮を執り、誰が安否確認や情報発信を担うかを平常時に決める。担当が決まっていないと初動が遅れる。 - 多言語の備えを整える
避難導線・掲示・連絡手段を、外国人観光客にも届く形で用意する。Safety tipsやピクトグラムを組み込む。 - 訓練する
作った計画を訓練で動かす。「訓練したことしかできない」を前提に、年に一度は手を動かす。 - 復興策を用意し見直す
需要回復の手順(割引・情報発信・連携先)を準備し、危機のたびに計画を更新する。
このテーマを深掘りする
本記事で触れた論点は、今後それぞれの専用記事で順次深掘りしていく。
災害は防げないが、被害は減らせる。コロナで訪日需要が8割超も減った経験は、観光がいかに外的ショックに弱いかを示した。それでも多くの事業者にとって、危機管理は「いつかやること」のまま後回しにされがちだ。
中小企業全体のBCP策定率17.1%という数字は、観光事業者にとっても平常時の備えを見直す材料になる。大きな設備投資の前に、平常時の段取りから始められる対策も多い。誰が指揮を執り、何語で、何を伝えるか。安否確認の手段と避難導線を決めておくことは、初動対応を整える第一歩になる。観光客は災害時に情報が届きにくい立場に置かれやすいという原点に立ち、まずは自社の安否確認の手段と多言語の避難導線を、今日、書き出すことから始めたい。
よくある質問
<出典>
- 観光庁「観光危機管理の意識醸成」(髙松正人氏資料)
- 観光庁「災害時の対応力強化に関する取組」
- 観光庁「訪日外国人旅行者用 災害時に役立つツール」
- 沖縄県・沖縄観光コンベンションビューロー「第2次沖縄県観光危機管理計画」(2021年度策定/2022年3月改訂。前身=「沖縄県観光危機管理基本計画」2015年3月策定)
- 観光庁「2019年訪日外国人旅行消費額(確報)」/「訪日外国人消費動向調査2020年年間値(試算値)」/「訪日外国人消費動向調査2025年年間値(確報)」
- 中小企業庁「中小企業白書」
- 帝国データバンク「事業継続計画(BCP)に対する企業の意識調査(2025年)」
- 気象庁「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」(2024年8月)
- 観光庁「令和6年能登半島地震 関連情報・北陸応援割」
- JNTO「訪日外客数(2023年8月推計値)」
- 中国文化観光部「海外団体旅行の解禁(2023年8月10日)」








